「東京都・足立16中人権侵害事件」とその後

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zoom RSS 三都議VS増田教員 準備書面5

<<   作成日時 : 2007/10/18 06:24   >>

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(3) 第13表現について
原告は、一方において「君が代斉唱時における不起立及びこれを呼びかける行為がその人間の社会的評価を低下させるものとなるか否かは議論の分かれるところ」としながら、他方において「相当多数の市民が、その人間の社会的評価を低下させると感じるであろうことは、経験則上明か」と断じている。議論の分かれることが、何故に経験則上明かと断じ得るのかはやはり良く理解できない。
いずれにしても、原告が、授業において、「卒業式次第から『国歌斉唱』を抜くことは、現時点では私達(生徒達にこの様な歌を歌わせることに反対する教員)の力が弱くてできないので申し訳ないと思っています。」(乙30の4bU原未希氏へのコメント)として、原告が君が代に反対の意思を表明していたことは明らかである。
そして、原告の言を借りれば「相当多数の市民が社会的評価を低下させるものと感じるであろう」行動を、そうと自覚してやってきたことになるのである。原告自身が自認している行動を、その自認通りに評価したからといって、名誉毀損を云々すること自体がおかしいのである。
また、違法性阻却事由の有無に関し、原告は君が代の歴史的事実を教えただけだと開き直っているが、明治時代に「君が代」が「天皇の世よ永遠に」の趣旨で歌われていたと強調し、「天皇の世」と「国民の世」とを対立させるがごとき指導からもうかがえるように、「君が代」は国民主権に対立するものであるという一方的で誤った印象を生徒に植え付けるものであったことは明かであり、かかる指導に基づき君が代斉唱時における不起立を生徒に呼びかける行為(原告はこの事実を否定しない)と多数生徒の不起立が実際にあったという事実に基づき、「煽動した」と表現することは、前提事実の真実性に基づく正当な論評であることは明かである。
なお、前述した謝罪表明が、学習指導要綱に反するものであることも明らかである。

(4) 第16表現について
  第16表現は、被告らが、行政の不作為に向けて行なった批判であることは、その文脈からしても明らかである。
  文脈を無視しての原告の反論が不当であることは前述(2)記載と同様である。
  また、仮に同表現の「憲法、教育基本法を無視し、学習指導要領を否定し、人権侵害を起こした教諭の犯罪」の表現が、原告の社会的名誉を低下させるものであるとしても、「憲法、教育基本法を無視し、学習指導要領を否定し」や「犯罪」の表現は、いわゆる法的見解の表明であり、「法的な見解の正当性それ自体は、証明の対象とはなりえないものであり、法的な見解の表明が証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項ということはできないことは明かであるから、法的な見解の表明は、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明の範疇に属するものというべきである。また、前述のとおり、事実を摘示しての名誉毀損と意見ないし論評による名誉毀損とで不法行為責任の成否に関する要件を異にし、意見ないし論評については、その内容の正当性や合理性を特に問うことなく、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉毀損の不法行為が成立しないものとされているのは、意見ないし論評を表明する事由が民主主義社会に不可欠な表現の事由の根幹を構成するものであることを考慮し、これを手厚く保障する趣旨によるものである」とした最高裁平成16年7月15日付第一小法廷判決(乙59の498頁)が示すところに従えば、それが名誉毀損の対象となりえないことは明かである。
更に、本件生徒の母親を「セコイ」「チクリ」「教師の教育内容に介入するなど『アサハカな思い上がり』」といった揶揄的表現を用いて侮蔑的に攻撃する本件プリントを授業中に教材として配布して読み上げるという原告の人権侵害行為の事実が認められる本件においては、「教諭の犯罪」という法的な意見の表明による非難もまた、論評の域を逸脱したものとはいえないことは明らかであり、この点からみても、名誉毀損が認められる余地はない。

(5) 第19表現について
この点の原判決の認定如何はひとまず措くとして、「つるしあげ」の表現のもとには、原告が、 複数の教員が同席する場で、校長一人に対して厳しい非難を浴びせ、「『良心の存在証明』をするよう機会を与えた」として自己批判を強要し、「皆様もご存知の通り、先日の構内研修会の席上で、その機会を利用するつもりは『ありません』と明言されたので」として、原告の要求に従わなかった校長の解職ないし更迭を求めて、「東京都人事委員会に措置要求をした」といい放ち、しかも、「未来の校長先生方は、この愚を繰り返されませぬよう、心からお願い申し上げます。」とまで付け加えて脅した事態をさしてなされた論評である(乙23の冒頭5行)。そこには「一人対多数」という図式のなかで、校長1人を一方的に非難して反省を迫る状況があり、まさしく「つるしあげ」という比喩的表現が当てはまる事態があったのである。
なお、辞書を確認すると、「つるしあげ」とは、「大勢で、ある人をきびしく非難すること」「ある人を大勢で責めなじること」の意味である(乙65:大辞泉、乙66:大辞林)。
原告は、自らの行動を「校内研修会の席上、元井校長のこれまでの対応を質したものに過ぎない」などと弁明するが、一人の校長対複数の教員という図式に変わりはなく、しかも原告は、「『良心の存在証明』をするよう機会を与えた」などというかつての「総括」を彷彿とさせる発言をし、一方的な反省を求め、原告の要求に応じない校長の解職、更迭、謝罪を法的根拠も権限もなく求めているのであるから、それは一人の校長を「厳しく非難する」「吊るし上げ」そのものであるとともに、「恫喝」であり、「学校秩序を根底から覆す行為」する行為であることは明かである(甲1・132頁以下参照)。 したがって、仮に名誉毀損性に関する原告の反論を肯定したとしても、第20表現の論評が前提とする事実の真実性・相当性は明らかなのである。

(6) 第22表現について
原告は、「執拗な」と評価されたことを問題としているようであるが、そうした評価的論評の相当性は、以下の事実からも明らかなのである。
すなわち、原告は、米軍の存在価値・有用性について、「抑止力」の観点から肯定する意見を表明した生徒に対して、二度にわたって長文のコメントを付して翻意を促していたのである。しかも、原告は、一審における証人尋問の場で、同生徒のような考え方に立つ有力な立場があることを認識していたと証言している(原告証言調書56頁9行目以下)のであるが、同生徒に対しては、あたかも同生徒の立場が間違っているかのような内容のコメントを長文で、しかも二度にわたって繰り返し示してきたのであるから、「執拗」と評価することは真実に基づくものなのである(乙1の1bQおよびbP9の、いずれも白玉氏に対するコメント、原告証言調書54〜56頁)。

(7) 第26表現について
原告が指摘する「確信犯」という語句には、原告が指摘する意味のほかにも、「俗に、トラブルなどをひきおこす結果になるとわかっていて、何事かを行なうこと。また、その人。」という意味がある(乙58)。
原告は、一方的かつ感情的な非難用語を羅列したものと評価される本件プリント(乙1の1bP)を、校長の業務命令を敢て無視して配布することで、保護者ならびに生徒に多大な精神的打撃を与えておきながら、一度として謝罪はおろか、以後も自分の行動は正しいと主張し続け、前述したような責任転嫁の言動を繰り返してきたのである。
そうした原告の行動は、正に、確信犯の前記意味に該当するものであることから、これに対して被告らが下した「確信犯」であるとの評価は、その前提事実において真実であるし、相当性もあるのである。

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