「東京都・足立16中人権侵害事件」とその後

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zoom RSS 三都議VS増田教員 準備書面2

<<   作成日時 : 2007/10/14 08:37   >>

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第3 「紙上討論の正当性」について

1 紙上討論の正当性に関する反論 

(1) ここでの原告の反論は、前述したような議論のすり替えに終始するものである。要するに、被告が主として批判・指摘してきたことは、原告が紹介している「紙上討論」という授業形態そのものではなく、その形態を利用して行なわれた原告による実際の授業内容・指導方法についてなのである。この点をすり替えての議論は意味がないと考えるが、原告も、ここでは教材プリントを引用しながら具体的に主張しているので、念のため反論しておく。

(2) 「反米」という観点について、原告は、幾つかの生徒の意見を引用して、「これらの意見から、本件保護者は、原告が『反米』教育を熱心にやっていると判断したと推測される。」とする(10頁最終2行)。
しかし、被告や原判決が、原告を「反米」という「特定の立場」から授業をしてきたと評価し批判してきたのは、これらの指摘に止まるものではない。特に原告がプリント上で表明してきた自身のコメントなどは、同人が「反米」の立場を鮮明にしていると判断する有力な材料となっているのである(乙1のAの4〜5等々)。
同書証のコメントなどは、実に2頁にも渡るものであって、内容的にも、「米軍は銃剣を突き付け」云々といったものであるから、客観的にも反米的立場に立つものと判断せざるを得ないものなのである。

(3) 「アメリカ軍基地の有用性」についても、原告は、あたかも中立的な立場から指導してきたかのような引用の仕方をしているが(12頁上段)、事実を隠蔽しようとするものである。
すなわち、抑止力という観点から、なかなか説得力のある意見を展開した生徒(白玉氏)に対しては、原告が唯一正しいと決め付けている立場にたった長いコメントを付して、かつ二度にわたって執拗に同氏の意見を批判し意見を変えることを迫ってきたことは隠しようのない事実なのである(乙1の1bQ、同19〜20白玉氏への各コメント)。
この他にも、村松氏への資料提供と称して、反米的思考に偏らざるを得ないような偏向的な資料の提供方法(同12、原告尋問調書57〜58頁)等々、被控訴人(一審原告)が「反米」の立場に立って指導してきた事実を示す証拠には枚挙の暇はない。
 
(4) なお、原告は、「多数意見は(教えなくても)常に生徒たちは接している」(原告本人調書57頁)と供述し、控訴理由書にも同様な主張がある(12頁中段)が、ほとんど居直りに近い弁解である。この手の議論には初めて接することがほとんどと思われる生徒らにとって、多数意見には常に接しているという状況があるとは思えない。むしろ、多数意見にも配慮した基本を教えてこその基礎教育だったはずであるし、原告が盛んに引用する教育基本法の目指している教育内容であるべきなのである。原告の主張は原告が奉じる教育的観点からみても本末転倒の愚を犯しているのである。
現に、原告側の証人として立ったかつての教え子である胡月氏は、憲法9条の平和主義の理解も不確かであり、象徴天皇制にいたっては憲法に規定されていることも、「知らない」と証言したのである(同人証言調書16〜17頁)。
原告が、政治的対立のあるテーマの議論にかまけて、根本的な基礎教育をしてこなかった事実が、同人の証言で図らずも明らかになったのである。この一事をもってしても、原告の弁解が事実に反する虚偽のものであることは明白である。

(5)被告が、原告の授業の結果「最後には、昔の鬼畜米英と同じで『米軍全滅作戦』を主張する生徒さえ出てくるありさまです」と評したことに対して加えている反論(14頁中段)も全く的外れなものである。
原告は「中学生でもこの意見が現実的であるかどうかという判断力を十分に持っている」云々と反論するが、十分でないからこそ被告が指摘するような意見を有する生徒が出てきているのである(乙1の1bS渡辺氏)。 
渡辺氏は「平和的に解決する方法はない、と思ったから考えてみただけだ。」として、別に考えを改めているわけでもない(乙1の115渡辺氏)。
要するに、被告が、「生徒を一定の方向に誘導する、ことばを変えて言えばマインドコントロールに近い授業」(第1表現)、「完璧な洗脳教育」(第2表現)として非難してきた手法がマインドコントロールとしての効果を発揮し、非現実的な思考を育ててきた証左である。 
原告は、渡辺氏の意見表明を「想像のレベル」と決め付けているが、ミスリードと言わざるを得ない。彼は自分の考えた結果を表明したものだと言明しているのである(乙1の115渡辺氏)。

(6) 被告は、原告の誘導・洗脳・マインドコントロールを問題とし、その典型例として、米軍基地に賛成の立場から意見を表明した生徒に対して加えられた原告のコメントを指摘した。
すなわち、原告は「『北朝鮮が日本にノドンミサイルを撃ち込もうとしている』という『噂』の出所は米軍です。」と断じた上で、「この『噂』は『マユツバ』に思えます。」として、その理由なるものの私見を展開しているのである(乙1の1bQ、原告尋問調書54〜55頁)。そしてこのコメントを読んだ他の生徒らの中には、前述の生徒の意見に対して、「『北朝鮮』の話だけど、・・ウワサをそのまま信じるのは良くないと思う。・・」とか、「・・先生もそれは噂にすぎないと言っているし、やっぱり米軍は必要ないのでは?」といったように、教師である原告のコメントを鵜呑みにしたまま迎合する生徒達が複数出てきている(乙1の1bP3冒頭2名)。しかも、原告は、その内の1名の意見を後押しするかのようなコメントすら付しているのである(同13の佐藤氏へのコメント)。原告が、それらの迎合的意見をもって、自らの意見表明に代えていることは明らかなのである。
更には、原告が引用する生徒の意見(15頁後段:乙1の1bX)もまた、原告のコメントを代弁するものと考えられるのである。

(7) 東京地裁平成18年5月29日判決(乙64)は、原告が産経新聞の記事(乙39の1〜5)によって名誉等を侵害されたとして損害賠償等を求めた訴訟の一審判決(確定)であるが、そこでは原告の紙上討論の実態について以下のとおり認定されている。
すなわち、「原告の紙上討論における教育方法は、公立中学校の生徒を対象とするものであるにもかかわらず、一般的に、自らの考えと同じ意見についてはこれを賞賛する一方、自らの考えと異なる考えに対してはこれを辛辣に批判するという姿勢をとっており、また、自らの考えが日本国憲法に忠実なものであり、自らの考えに沿わない考えは日本国憲法に反するものとするなど、一方的かつ反論を許さない態様のものであったことが認められる」(乙64の35頁)。
 また、原告のコメントについても、「紙上討論においては、生徒らの意見に対し、原告自身もコメントを記述することがあったところ、原告は、自らと同じ考えを持つ生徒の意見については、『自分がどんなにアサハカ、かつ恥知らずな事を言っているのか自覚しないでいる意見については少しかわいそうでもその過ちをはっきりと教えてあげるのが私の仕事』といった考え方に基づいた直接的な批判を行い、また、原告自身の考え方として『私は、よく考えられた、あるいは直感的にとらえられた正しい意見には、いつでも心からの賛意を《一方的に》表明し、よく考えられていないアサハカな意見を《一方的に》指弾することに何らの不都合も感じません』、あるいは、自らが日本国憲法主義者であり、原告の紹介する意見は歴史的事実、憲法原則に忠実なものばかりであって、原告の考え方に沿わない考え方は日本国憲法に反するものである、などといった意見を記述していた。」(乙64の21頁第4段〜)と判示し、その紙上討論授業における原告の独善的な振る舞いを認定している。
 いずれも被告がこれまで原告の紙上討論授業の実態について縷々指摘してきたことが的確にまとめられている。

2 「原判決『前提事実ア』(原判決40頁)の検討」について

(1) 原告が「『反米』とも受け取られかねないコメントは全部で31か所ある。」(17頁後段)とするコメントがどの部分に限定されて算定されたものかは不明であるが、いずれにしても「反米」たる立場を表明してきていたことを半ば自認しているに等しいものである。
また、コメントという形式でないにしても、生徒の意見や資料にラインをひかせることによって、原告の意見を代弁させる手法を多く用いていることも指摘しなければならない。
例えば、「アメリカは暴力団と同じだと思った」との意見に線を引かせるなどしたことが典型例として挙げられる(乙1のAの1阿部清香氏、原告尋問調書56〜57頁)。
原告は、これらのコメントの一部を引用して縷々弁解し、要するに「日本国憲法の精神に則って授業を進めた」だけだと強弁するが、そもそも「日本国憲法の平和主義」が一義的なものでない以上、何ら説得性のないものであることは前述したとおりである(前述第2の6参照)。

(2) 原告は、「天皇の戦争責任を肯定する立場」からのコメントは「一か所のみである」と主張するが、これまた事実に反するものである。
原告の自認する83に限らず、「あの侵略戦争において・・・国民を戦争に駆り立てた天皇を・・・」としたり(乙30の1bT)、「戦争を行うかどうかということについて、…決定の権力を有する者は一人天皇だけであった。・・」(乙31の3bS)として、天皇の戦争責任を肯定していると読み取れるコメントは多数見受けられるのである(その他乙30の1bW末尾数行、乙32bR池田氏へのコメント等々)。また、コメント自体ではないにしても、天皇を批判する内容の生徒の意見に下線を引かせるなどの指導もしているのであるから、実質的にはコメントを代行させているに等しいもので、これも原告の授業方法に対する批判的論評を加えるに至った被告らの基礎事実になったことは言うまでもないことである(例えば、乙31の2bP古橋真梨子氏、同bQ藤井亨也氏の各下線部分)。

(3) 「自衛隊の存在等に反対の立場」についても同様である。原告は、そのような立場でのコメントは「存在しない」(1 9頁末尾3行)と嘯くが、これまた事実に反するものである。
反自衛隊を表明するコメントとしては、ほぼ1頁にわたる乙33のbPなどに見受けられるが、その他にもコメントに付加して引用されている資料等(乙30の2bR〜bSのプリント2枚にわたる資料、同bUの資 料、乙30の3bTの引用文献等々)も、実質的には原告のコメントと一体をなすものであることからすれば、反自衛隊の立場からのコメントは「存在しない」などと言えないことは言うまでもない。 ここでも前項と同じく、生徒の意見に下線を引かせているが、自身のコメントを代行させているに等しいものであることは前項において主張したと同様である(乙30の3bVの落合氏等々)。

3 「紙上討論の意義」(20頁以下)について

(1) ここでも、被告らの批判論評が、「紙上討論」という授業形態そのものではなく、その形態を利用した授業内容・指導方法自体について批判したものであるのに対して、原告は、紙上討論の意義という抽象論で反論しようとするのであるから議論のすり替えにすぎないが、必要な限りで再反論しておく。

(2) 原告は、紙上討論授業について、生徒の側からの批判的意見を載せて、それに対するコメントを付すなどして理解を深めたとでも言いたいようである(20〜21頁)。
しかし、原告の付したコメントは、疑問・批判に真摯に答えるものでなかったり、生徒をして萎縮せしめるようなキツイ表現を駆使してのものなのである。すなわち、原告も引用している小堀綾子氏に対するコメント(乙1の1bQ4)は、一見して批判に答えているかのような体裁をとっているが、実際には、同氏が疑問とした「この紙上討論のせいで傷ついたりしている人もいるのではないですか?」として、暗に原告の人権侵害として認定されたプリント(乙1の1bP)によって傷つけられ、精神疾患まで患い転校していった生徒がいた事実を指摘しているにもかかわらず、原告のコメントは、この点には全く答えるものではないのである。他方では、質問の意図も酌まないまま感情的な酷い言葉を投げつけて、有無を言わせずに黙らせるようなコメントも多く見受けられる(乙1の146阿部由佳氏、乙33bU高田るみ子氏等)。
原告は、あたかも議論が深まったことから、紙上討論に賛成する生徒が出てきたかの如く論じているが(21頁)、被告からすれば、これらのコメントに迎合ないし誘導された結果だと論評しているのである。
例えば、原告が引用する生徒の意見には「私は『正しい事は正しい、間違っている事は間違っている』と堂々と生徒に教える事のできる増田先生の意志はすばらしい。」云々と賞賛するものであるが、正に原告のしてきた洗脳の結果・効果の典型例であると言うべきなのである。同生徒は、「正しい事」とは、原告が「正しい」としたこととイコールであることを、全く意識しないまま植込まれてしまっているのである。この生徒からすれば、二度にわたって原告から長文のコメントで批判された生徒(乙1の1bQおよびbP9の白玉氏)などは、「正しくない」という結論になるのであろうが、これこそ誤りなのである。これなどは、無意識のうちに、原告が「正しい」と決めたものは「正しい」と信じ込まされている、すなわち洗脳・マインドコントロールの典型例として指摘できるものなのである。

(3) 原告は、紙上討論授業に対する生徒らの肯定的な意見を複数掲げることで、原告がしてきた授業の正当性を主張しようとしているようである(25頁〜26頁)。
しかし、例えば、原告から同一の問題について、二度にわたって徹底して批判された白玉氏(乙1の1bQ、19)の肯定的意見が出ていないことも事実である。何よりも原告の人権侵害行為と評価された本件プリント(乙1の1bP)によって傷つけられ、精神疾患まできたして転校していった本件生徒の存在を語らずして何をか言わんやである。
繰り返しになるが、被告が批判してきたことは、原告の授業を受けた生徒らは、授業の結果、紙上討論や原告に対して肯定的意見を有するに至ったか否かの結論ではなく、その結論に至る過程で施された原告による洗脳・マインドコントロールとも評すべき様々な手法についてなのである。

(4) 原告は、教育基本法等を引用して、自ら講じてきた紙上討論の正当性を主張(26頁以下)するようだが、その引用する教基法8条の「良識ある公民たるに必要な政治的教養」は、乙1の1bPのような一方的で下品なプリント教材などから育まれるものでないことは火を見るより明らかなことである。
同様に、学習指導要綱を引用した記述も、授業という名を借りて、原告の意見に反対する者に対して、徹底した批判を一方的に加え、挙げ句には名誉を毀損することも正当化するような原告の姿勢を語らずして、およそ意味のないことである。
繰り返しになるが、原告の論法(20〜31頁)は、問題のすり替えでしかない。紙上討論授業の功罪を云々することはひとまず措くとして、被告らが取り上げた最たる問題とは、紙上討論という授業方法に名を借りただけの、教師にあるまじき非行行為の数々についてなのである。したがって、これらに対する反論をせずに、教基法を云々してみたところで何もならないのである。
原告は「生徒達が自らの思考を主体的に深化・形成していく」云々(31頁)と自画自賛するが、以上の各事実を踏まえた時、被告の目からみれば、原告の独裁的な指導・支配下で、様々なテクニックを弄してなされるマインドコントロールによって、原告の偏った政治思想を無批判に受容する皮相的な人格が形成されていく過程としか捉えられないのである。

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