「東京都・足立16中人権侵害事件」とその後

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zoom RSS 9条の亡霊による呪縛から脱し、立憲主義を回復するための改憲について

<<   作成日時 : 2007/10/18 06:26   >>

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“ 平和憲法ではなく、平和を守るために ”
〜9条の亡霊による呪縛から脱し、立憲主義を回復するための改憲について〜
     弁護士 徳永信一

1 「崇高な理想」の終わりとその後
憲法は、前文で、「再び戦争の惨禍が起こることのないよう決意し」、「平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)の信義と公正に信頼し」、戦争と武力行使の放棄並びに軍隊不保持を9条で宣言した。当時、国連による集団安保体制により、地球上から戦争がなくなるという《崇高な理想》も語られていた。
かかる非武装平和主義による《太平の夢》は、しかし、共産中国の登場と朝鮮戦争の勃発によってたちまち破られた。駐留米軍の応戦がなければ、韓国そして日本は、たちまち金日成、毛沢東、スターリンの侵略するところとなり、護持されたはずの国体(天皇制)も消し飛んだであろう。    
東西冷戦によって国連は機能不全となり、集団安保体制による《崇高な理想》も夢となった。9条は自衛戦争まで放棄したものではないとの解釈のもと、自衛のための必要最小限の実力としての自衛隊(警察予備隊)が発足し、日米安保と抱き合わせのサンフランシスコ講和条約によって独立した後は、日本は自衛隊という「戦力なき軍隊」と「最強の戦力」である米軍によって自国の平和を守る体制をとってきた。  
ソ連の崩壊による東西冷戦終結後は、湾岸戦争において多国籍軍の派遣を決議するなど、国連による国際平和構築のシステムが機能するかにみえたが、21世紀に入り、アメリカの対テロ戦争が始まると、国連は再び米国、中国、ロシアといった大国の国益がぶつかり合う綱引きの場になり、イラク戦争、スーダン・ダフール危機、ミャンマー騒乱では、十分に機能することができず、北朝鮮の核実験には制裁決議をあげるも、その後の実効的な非核化のプロセスには関与することができないでいる。気がつくと、日本は周囲を中国、ロシア、北朝鮮、そしてアメリカといった「平和を愛する諸国民」とは俄に認めがたい核保有国によって取り囲まれていた。

2 国民の憲法意識との乖離
戦後60年の平和は憲法9条の非武装平和の《崇高な理想》ではなく、その精神を踏みにじる日米安保と自衛隊が守ってきたものである。日本国民はこのことを良く知っている。各種世論調査からうかがえるように、内閣法制局による政府解釈の怪しさにもかかわらず、日本国民の良識は、自衛隊の存在と日米安保条約を肯定している。それは日本国民が選択した前文の「平和のうちに生存する権利」の現実的ありようだということもできよう。だとすれば、国民の良識としての憲法意識から外れた《崇高な理想》は、既に生命を失い、憲法規範としての基礎を喪失している。思えば、昭和34年の砂川事件最高裁判決は、固有の自衛権を認めた上、「わが憲法の平和主義は、決して無防備、無抵抗を定めたものではない」として非武装平和を否定していたが、朝日新聞も今年の社説「21世紀の安全保障」も自衛隊を肯定し、遂に非武装平和の立場を変節した。 

3 9条の亡霊としての政府解釈   
憲法9条の政府解釈・内閣法制局見解は、憲法9条の亡霊に呪縛されている。砂川事件最高裁判決がいうように、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするための必要な自衛のための措置をとりうること」、すなわち、「国際情勢に即応して適当と認められる」「安全保障の方式と手段」を選ぶことは、「我が国の固有の権能の行使として当然のことである」。然らば、
➊自衛隊による自衛権の行使を「専守防衛」に限るという縛りは、中国と北朝鮮の核とミサイルの脅威に対処するのに適当かどうかを、自国の安全保障に必要な措置との関係で検討し直すべきであり、
❷国連憲章が認めている集団的自衛権について「権利はあるが、行使はできない」とする政府解釈は、我が国を国際社会におけるゴマメ国家の地位に甘んじさせるばかりか、そのとりうる平和戦略の選択肢を限定し、その結果対米追従を余儀なくしている。
❸「武力行使なき国際貢献」のドグマもまた、自衛隊を丸腰で戦闘地域に派遣し、任務遂行のための武器使用を認めない不条理な制約を課している。国連中心主義に悖るだけでなく、国際共同体を守るという普遍的な「政治道徳」に基づく責務にも違背する事態を生んでいる。          
4 真の立憲主義を回復するために
憲法9条は憲法が定める改正手続を通じ、国民の憲法意識に合致するべく改正すべきである。根本規範としての憲法の規範性は、その明晰性と一義性が必要条件であると考えるからである。これが失われたとき、憲法の「正しい解釈」の名のもとに様々な政治的主張が展開され、その結果、憲法は政治に埋没していく。安倍内閣において発足した特命委員会による集団的自衛権の行使容認に向けた解釈変更の動きも、民主党の小沢代表が唱える国連決議に基づく自衛隊のISAF派遣も、失われた憲法の「正しい解釈」をめぐる亡霊の仕業であるといえよう。もとより内閣法制局見解もまた《崇高な理想》を失い、亡霊となった9条の残像にほかならず、その鵺のような奇妙な論理を「正しい憲法解釈」として子供たちに教えることに躊躇を覚えないものはいまい。子供たちに教えることを躊躇させる憲法解釈を根本規範とする体制は、もはや立憲主義の名に値しない。 
国民の良識という「憲法意識」に合致する憲法を取り戻し、真の立憲主義を回復するために、憲法改正は、どうしても通らなければならない道なのである。 
                                   以上

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